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東京高等裁判所 平成元年(行ケ)143号 判決

東京都中央区京橋二丁目一六番一号

原告

清水建設株式会社

右代表者代表取締役

吉野照蔵

右訴訟代理人弁理士

志賀正武

清水千春

渡辺隆

右訴訟復代理人弁理士

堀城之

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被告

特許庁長官 深沢亘

右指定代理人

大塚進

松木禎夫

有阪正昭

主文

特許庁が昭和六三年審判第一〇二八一号事件について平成元年五月一五日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨の判決。

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

出願人 原告

出願日 昭和五六年六月二三日(昭和五六年特許願第九七〇一〇号)

発明の名称 「壁状のコンクリート構造物のひびわれ制御工法」

出願公告 昭和六一年一二月二日

拒絶査定 昭和六三年三月九日

審判請求 昭和六三年六月八日(昭和六三年審判第一〇二八一号事件)

審判請求不成立審決 平成元年五月一五日

二  本願発明の要旨

基礎部(11)とその上部の壁(12)とを有する壁状のコンクリート構造物を構築するに際し、基礎部(11)を成形凝固させた後、その基礎部(11)の上に設けられた壁部成形用の型枠内にコンクリートを打設して壁部(12)を成形する工法であって、予め棒状体(13)を前記壁部成形用型枠の少なくとも一方の内側の長手方向に互いに離間し、かつそれぞれの長手方向をほぼ上下に向けて並べると共に、棒状体(13)の長手方向に沿ってその棒状体(13)の内側面に薄板(14)を立てておき、その後、型枠内にコンクリートを打設し、そのコンクリートが凝結する前に前記棒状体(13)及び薄板(14)を取り出して欠損部及び当該欠損部の底から壁部(12)の内方へ向けて延びるスリット付きの壁部(12)を形成することを特徴とする壁状のコンクリート構造物のひびわれ制御工法。(別紙一参照。)

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

2  出願前公知の刊行物である実願昭五四-八〇三〇二号(実開昭五五-一八〇八〇号)の願書に添付した明細書及び図面の内容を撮影したマイクロフィルム(昭和五五年一二月二五日特許庁発行)(以下、「引用例」という。別紙二参照。)には、コンクリートの亀裂誘発目地棒1、2を、ポリエチレン等のコンクリートとの付着力が弱い硬質合成樹脂材料で成形し、型枠3の内側に第一目地棒1を止着し、第一目地棒1には嵌合用溝1a、1bを設けて亀裂誘発用のクサビ状平板よりなる第二目地棒2を嵌合することにより断面略T字形状の亀裂誘発目地棒1、2を形成し、次いで型枠3内にコンクリートを打設し硬化後型枠3を引き剥がすことにより第一目地棒1を抜き取り、コンクリートの外方に欠損部を形成し、その欠損部の底部にコンクリートの内方に向かって延びる第二目地棒2を残すことにより第二目地棒の先端位置にコンクリートの亀裂を確実に誘発集中させるコンクリート外壁の亀裂誘発方法が記載されている。

3  本願発明と引用例記載のものとを比較すると、引用例に記載の「第一目地棒1」、「第二目地棒2」は、本願発明の「棒状体」、「薄板」に相当し、引用例に記載の亀裂誘発用の目地棒1、2は壁体に用いる場合に成形用型枠の少なくとも一方の内側の長手方向に互いに離間し、かつそれぞれ長手方向を上下に並べて配置されることは技術常識に照らし明らかであり、そして引用例に記載のものはコンクリートの亀裂を特定箇所に集中して生起させるものであるから、壁状のコンクリート構造物のひびわれ制御工法ということができ、両者の間には、次の相違点があるが、その余については両者は実質的に一致している。

相違点1 前者(本願発明)は基礎部とその上部の壁部とを有する壁状のコンクリート構造物を構築するに際し、基礎部を成形凝固させた後、その基礎部の上に設けられた壁部成形用の型枠内にコンクリートを打設して壁部を形成する工法であるのに対し、後者(引用例記載のもの)にはそのような記載がない点。

相違点2 前者は型枠内にコンクリートを打設し、そのコンクリートが凝結する前に棒状体及び薄板を取り出して欠損部及び当該欠損部の底から壁部の内方へ向けて延びるスリット付きの壁部を形成したのに対し、後者は打設コンクリートが硬化した後目地棒1を抜き取りコンクリートに欠損部を形成し、第二目地棒は取り出されずコンクリート中にクサビ状に残されている点。

4  次に相違点について検討する。

(一) 相違点1について

基礎部を成形凝固させた後その基礎部の上に設けられた壁部成形用の型枠内にコンクリートを打設して壁部を成形する工法はこの出願前周知の工法であり、引用例に記載の壁部の形成方法として前記周知の工法を適用することは当業者が容易になし得る事項と認められる。

(二) 相違点2について

引用例にはコンクリートのひびわれ制御工法として、コンクリートとの付着力の弱いポリエチレンからなるクサビ状の薄板を欠損部の底から壁部の内方へ向けて設けることにより簿板の先端に亀裂を確実に集中させることが記載され、通常、コンクリートの亀裂はその凝固時の収縮による引張応力により発生するものであるから、この薄板が引用例のもののようにコンクリート中に残されているか或いは本願発明のようにこれを取り出してスリットを形成したかによって亀裂発生のメカニズムは異なるものとは認められず、そして本願発明のように薄板を取り出してスリットを形成したことによる効果も格別顕著なものとは認められないから、薄板を取り出すか否か及び取り出す場合にその時点をコンクリートの凝結前と特定することは当業者が必要に適宜なし得る程度のことと認められる。

5  したがって、本願発明は前記引用例に記載された事項及び前記周知事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法二九条二項の規定により特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

審決の理由の要点1ないし3及び同4(一)は認める。同4(二)のうち、引用例にはコンクリートのひびわれ制御工法として、コンクリートとの付着力の弱いポリエチレンからなるクサビ状の薄板を欠損部の底から壁部の内方へ向けて設けることにより薄板の先端に亀裂を確実に集中させることが記載されていること、及び、通常、コンクリートの亀裂はその凝固時の収縮による引張応力により発生するものであることは認め、その余は争う。同5は争う。

審決は、ひびわれ発生のメカニズム及び本願発明の作用効果の顕著性を誤認した結果、相違点2に対する判断を誤り、本願発明の進歩性を否定したものであって、違法であるから取り消されるべきである。

1  ひびわれ発生の原理的メカニズム

(一) 基礎部のコンクリートが固まった後にコンクリートを打設して壁を構築する場合、壁のコンクリートが固まる過程では特有の膨脹・収縮現象がみられる。

これを別紙三によって述べるに、コンクリートを打ち込んだ直後の壁の形状は、B図の実線で示すように長方形であるが、時間が経過するとコンクリートはY方向に収縮し始め、この場合、壁の下部は基礎部に拘束されているが壁の上部は拘束されていないから、壁のコンクリートの収縮が始まると壁の下部は変形が小さく上部は変形が大となるため、壁はB図の一点鎖線に示すように変形する。その結果、コンクリート内部には、収縮方向とは逆方向の残留応力、すなわち引張応力が発生する。この引張応力のエネルギーは、壁の上部よりもその下部で高まり、ひびわれは下から上に成長する。但し、基礎部と壁の境界はほとんど変形しないので、ひびわれは基礎の少し上の位置から発生する。

(二) コンクリート壁に目地が形成されている場合においては、別紙三のC図に示すように、コンクリートが収縮を始めるとA部とB部とが接近するようにA部・B部・C部がそれぞれ収縮する。

更に、収縮が進行すると、引張応力を発生させるエネルギーも増大し、C部に発生している引張応力がC部の引張強度を上回ると目地先端にひびわれが発生する。このひびわれがC図上で上下に連絡すると、D図に示すように、A部とB部とは完全に縁が切れ、今度はA部とB部とが離間するように動く。すると、A部自体がA部の中心に向かって収縮し、その中の目地空間も狭くなり、その目地にひびわれが発生する。B部でも同様の挙動を示す。

したがって、コンクリートが収縮する過程では、C図の一点鎖線に示すように、目地の深浅にかかわらず目地空間が狭くなろうとするが、目地が深い場合には目地が浅い場合よりもひびわれの発生が早く開始する。

2  ホリエチレンの薄板をコンクリートに形成されたスリット内に残置した場合と、これを取り去ってなにも残置しなかった場合のひびわれ発生のメカニズムの相違

(一) まず、コンクリート内部にポリエチレンが介在せず、またスリットも形成していない状態では、コンクリート内部に原則的には一様な引張応力が発生し、前項に記載したメカニズムでひびわれが発生することになる。ただ、コンクリートはセメントと骨材とからなる組成物であるから、その物性は一様ではなく、ひびわれは引張応力が引張強度を上回った部分で任意に発生することになる。

(二) 次に、コンクリートのスリットにポリエチレンの薄板を残置した場合には、E図に示すように、コンクリートが収縮を始めるとスリットは狭くなり、ポリエチレンの薄板は押される。ポリエチレンはコンクリートに比べて柔らかいといっても、弾性係数は約七八〇〇kgf/cm2(理科年表による)であるから、剛性を有している。したがって、ポリエチレンの薄板はつぶされるように変形するとともに、このポリエチレンの薄板には変形を阻止しようとする引張応力が発生する。他方、コンクリート内部に発生している目地周辺の引張応力は緩和される。

なお、被告はこの点に関し、ポリエチレンの熱膨脹率はコンクリートのそれと比較して一桁大きいから、ポリエチレンの薄板はコンクリート以上に収縮し、ひびわれが発生する応力段階ではポリエチレンの薄板とコンクリートは剥離しているものと考えられる旨主張すること後記のとおりであるが、同主張はコンクリートの温度とポリエチレンの温度が等しい量だけ降下するということを前提にした議論であって、誤りである。この点を実証するための、実際に施工されたコンクリート構造物において、ポリエチレン製目地棒とコンクリート内周面とが接触しているか剥離しているかを調査した調査報告書である甲第一〇号証によれば、ポリエチレン製目地棒を引き抜くには少なくとも二〇kg以上の加重が必要なことが認められるところから、ポリエチレン製目地棒はコンクリートによって押され、目地棒の外周面とコンクリートの目地内周面とが接触していることがわかる。

(三) 更に、コンクリートにスリットを形成し、スリットの内部になにも介在させない場合には、コンクリートが収縮を始めるとスリットの先端に引張応力が集中し、スリットの先端にひびわれが発生することになる。収縮によってスリットの幅は狭くなろうとするが、空気の弾性係数はほぼゼロと考えられるから、スリット内の空気は押されても自由に変形することができ、スリット内の空気には引張応力が発生しない。

したがって、右二の場合と異なって、コンクリート内部に発生している引張応力は緩和されず、その分だけスリット先端には引張応力が集中することになる。

(四) このように、ポリエチレンの薄板が残置されている場合とこれを取り去った場合のひびわれ発生のメカニズムは異なっており、このメカニズムを異ならないとした審決は、明らかに技術の認定を誤ったものである。

3  本願発明の効果の顕著性

(一) 以上によれば、コンクリート中にスリットを形成してそこになにも介在させない本願発明におけるスリット周辺の引張応力は、ポリエチレンの薄板を残置した引用例記載のものにおけるスリット周辺の引張応力よりも大きく、しかも引張応力はスリット先端に集中して分布する。このことは、本願発明のスリットの先端部分には、引用例記載の発明のポリエチレンの薄板先端に比較して、引張応力が大きい分だけひびわれの発生する確率が高いことを意味している。

(二) 甲第五号証は、コンクリート中部にスリットを形成してそこになにも介在させない場合と、そのスリットにポリエチレンの薄板が残置した場合とのひびわれ発生のメカニズムの相違がひびわれの発生にどのような影響を与えるかについてコンピュータによるシュミレーション解析を行った結果の報告書であるが、同報告書によれば、薄板を取り除いた本願発明の場合には、スリットの先端にポリエチレンの薄板を残置した場合に比べて、約六倍の引張応力が発生するうえ、スリットの先端部への引張応力の集中度が極めて高いことが示されている。

(三) 右によれば、薄板を取り出してスリットを形成したことによる効果も格別顕著なものとは認められないとの審決の認定も根本的に誤っている。

4  このように、審決は、ひびわれ発生のメカニズムを誤認した結果、本願発明の効果の顕著性を認めず、薄板を取り出すか否か及び取り出す場合にその時点をコンクリート凝結前と特定することは当業者が必要に応じ適宜なし得るところであるとして、相違点2に対する判断を誤ったものであり、違法なものとして取消しを免れない。

第三  請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三は認める。同四は争う。審決の認定、判断は正当であり、審決を取り消すべき違法はない。

二1  本願発明は、明細書の記載(甲第二号証二欄二〇行ないし二三行)によれば「スリットに生じるノッチ効果によってひびわれが欠損部に発生する確率を向上させる」ものであり、一方、引用例記載の発明は、同引用例の記載によれば、「目地底における亀裂発生場所が一定していない欠点」(甲第三号証二頁一三行ないし一五行)を改良するものであり、「第一目地棒1が抜き取られ……第二目地棒2をコンクリート5中に残すため、実質的な目地深さl1が大」(甲第三号証五頁二行ないし八行)となり、「第二目地棒2の亀裂誘発用板部2dがクサビ状の平板であるため、亀裂cを確実に亀裂誘発用板部2dの先端位置に集中させる」(甲第三号証五頁一九行ないし六頁二行及び第3図)ものであるから、引用例に記載のものも第二目地棒によって実質的に目地深さを大きくし、その先端にコンクリート内部に発生するコンクリート凝固時すなわち温度降下時の引張応力を集中させてひびわれを発生させているので、引用例に記載のひびわれ発生のメカニズムは、本願発明と同様、ノッチ効果を利用したものに他ならず、両者のメカニズムに相違があるとする原告の主張は失当である。

2  原告は引用例に記載のものは引張応力が緩和される旨主張するが、引用例に記載のものにおいて、コンクリート打設後の温度上昇段階ではコンクリート壁及びポリエチレン薄板の両者が膨脹し、温度降下段階において両者が収縮することは明らかであり、そしてポリエチレンの熱膨脹率はコンクリートのそれと比較して一桁大きいから、ポリエチレン薄板はコンクリート以上に収縮し、温度降下段階でポリエチレン薄板がコンクリートの収縮に伴ってコンクリートに圧縮されるとは通常考えられず、ひびわれが発生する応力段階ではポリエチレン薄板とコンクリートは剥離しているものと考えられ、それゆえに「亀裂cを確実に亀裂誘発用板部2dの先端位置に集中させる」ことができるという引用例記載の前記効果を奏するものであって、原告の右主張は妥当性を欠くものである。

3  原告は、コンピュータによるシュミレーション解析を行った結果の報告書(甲第五号証)に基づいて、本願発明の奏する効果の格別顕著性を主張するが、ひびわれ発生に関する温度応力の解析値は実測値と一致するものではなく、シュミレーション解析結果に基づく原告の主張は妥当性を欠くものである。

第四  証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

一  請求の原因一ないし三(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨、審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

二  本願発明の概要

成立に争いのない甲第二号証及び同第四号証の一、二(本願発明の公告公報、昭和六二年一〇月九日付及び昭和六三年七月八日付各手続補正書。以下、これらを総称して「本願明細書」という。)によれば、本願発明は、壁状のコンクリート構造物の壁部に生じるひびわれの発生箇所を制御する工法に関するものであること、一般に、水槽、橋脚、地下鉄の箱形ずい道などにみられる壁状のコンクリート構造物では、まず基礎部を成形凝固させ、その後基礎部の上に壁部を成形するようにしているが、そのため、壁部のコンクリートは凝固収縮する際に基礎部によって拘束され、この結果壁部にひびわれが発生すること、このようなひびわれが発生する箇所を制御する方法の一つとしてコントロールジョイント法があり、コンクリート躯体の外側に欠損部を設けたり、或いはコンクリート躯体内にパイプを埋め込んだりしてその箇所にひびわれが発生するようにしているが、このような欠損部にひびわれが発生する確率は五〇ないし六〇%であって満足し得るものではなかったため、本願発明は、所定の箇所からひびわれが発生する確率を大幅に向上させることができる壁状のコンクリート構造物のひびわれ制御工法を提供することを目的とするもので、その工法の特徴は、右欠損部に加えて、その欠損部の底からコンクリート躯体の内方へ向けて延びるスリットを設け、このスリットに生じるノッチ効果(物質中に応力がある場合に切り欠き部(ノッチ)の先端に応力が集中する効果)によってひびわれが欠損部に発生する確率を向上させるようにした点にあることが認められる。

三  取消事由に対する判断

1  引用例の記載内容は審決の理由の要点2のとおりであること、引用例に記載のものも壁状のコンクリート構造物のひびわれ制御工法ということができること、引用例に記載の「第一目地棒1」、「第二目地棒2」は、本願発明の「棒状体」、「薄板」に相当すること、本願発明と引用例記載の発明とは、審決の理由の要点3に記載のとおりの相違点があるが、その余については両者は実質的に一致していること、及び、相違点1に対する審決の認定(審決の理由の要点4一)が相当であることについては、いずれも当事者間に争いがない。

2  引用例記載の発明の概要

成立に争いのない甲第三号証(引用例)によれば、引用例記載の発明は亀裂誘発目地棒の改良に関するものであること、この亀裂誘発目地は、通常、型枠の内面に断面形状が台形をなす木製の目地棒を釘付けした状態で外壁コンクリートを打設し、脱型時に型枠と一緒に目地棒を抜き取り、目地棒により形成された目地の底部にバックアップ材を充填した後、入口側にシーリング材を充填するといった方法により施工されるが、亀裂誘発目地はコンクリートに壁厚の1/4ないし1/5の断面欠損を設けることによって有効であるとされており、目地深さが大であるため目地棒全体の抜取り自体が非常に困難であり、目地幅を大きくすることが必要とされ、建築上見苦しいばかりでなく、シーリング材寸法が大になって不経済であり、しかも、目地底における亀裂の発生場所が一定しない等々多くの欠点があったところ、型枠内面に取り付けられる第一目地棒と該目地棒に分離可能な状態に嵌合固定される第二目地棒とからなる引用例記載の発明は、このような従来欠点を是正すべく開発されたものであることが認められる。

3  本願発明と引用例記載の発明との相違点2に関する構成の相違に基づくひびわれ発生の異同

(一)  壁状のコンクリート構造物では、まず基礎部を成形凝固させ、その後基礎部の上に壁部を成形するようにしているため、壁部のコンクリートは凝固収縮する際に基礎部によって拘束され、この結果壁部にひびわれが発生するものであることは、前記の本願発明の概要からみて明らかであるところ、更に成立に争いのない甲第五号証の三(工学博士小野定作成の平成二年七月一〇日付「シュミレーション解析報告書」)によれば、すでに充分に固まったコンクリート基礎の上に新たにコンクリート壁を構築した場合、壁部分のコンクリート打設後二日目まではコンクリート壁が膨脹し、その後収縮すること、このようにコンクリート壁が最初膨脹するのはコンクリート打設後二日目ないし三日目まではコンクリート内部の温度が上昇することによるもので、その後収縮するのは温度降下に起因するものであること、新しく打設したコンクリート壁は、すでに周まっているコンクリート基礎によって拘束されているために緊張・収縮するといっても自由に変形することはできず、その結果、コンクリート壁内部には応力が発生し、温度降下段階において発生する引張応力がコンクリートの引張強度よりも大になったときにひびわれが発生するものであることが理解できる(コンクリートの亀裂(ひびわれ)が凝固時の収縮による引張応力により発生するものであることは当業者間に争いがない。)。

(二)  ところで、その後、目地先端にひびわれが発生した場合には、該ひびわれに伴って目地幅が拡大するであろうことは容易に理解し得るところであるが、目地先端にひびわれが発生する以前においては、その目地の先端に引張応力が発生する原因がコンクリートの収縮である以上、目地先端より内方に位置するコンクリートの内部は全体として収縮するとみるのが相当である。したがって、引張応力が集中しひびわれがまさに発生しようとする目地の先端部付近においては、目地の先端より内方に位置するコンクリートの内部の収縮に伴って、目地の先端より外方に位置する目地の両側壁も接近し、その幅は狭くなると理解すべきである。

このように、目地の両側壁が接近してその幅は狭くなると、目地内にポリエチレンの薄板を残置してある場合、ポリエチレンの薄板は目地の両側壁によって押されることになる。

(三)  本願発明において、コンクリート躯体の外側に設けたひびわれ発生を誘発するための欠損部に加えて、その欠損部の底からコンクリート躯体の内方へ向けて延びるスリットを形成した技術的意義は、このスリットに生じるノッチ効果によってひびわれが欠損部に発生する確率を向上させるようにした点にあることは前認定のとおりであるところ、材料力学上、材料の切込みや穴などの断面が急変化する切欠き(ノッチ)をもつ板に引張加重が作用すると応力が切欠き付近で急増し、切欠きの縁の一部で最大になるという応力集中と呼ばれる現象が生ずるのであり、この断面が急変化する部分に充填物を充填して断面の変化を無とするように補正し或いはその変化の度合いを低下させる場合には、応力集中という現象は生じなくなるか或いはその程度が低下することは明らかである。このことは、成立に争いのない甲第八号証(「応力集中」増補版、森北出版株式会社一九七三年一二月二〇日発行)の「円孔やノッチがすでに不要の場合に溶接によってこれらを埋めてしまって応力集中の原因を去ることが強度上有利であるのはいうまでもない。しかし、荷重状態では使用しないが埋めてしまうこともできない円孔やノッチの影響をなんらかの方法である程度無効的にできれば好都合である。」との記載(一四四頁一二行ないし一五行)からも窺い知れるところである。

これを本件についてみれば、引用例記載の発明のように目地内にポリエチレンの薄板を残置してある場合には、前認定のとおりポリエチレンの薄板は目地の両側壁によって押されることになるから、切欠きとしての目地にはポリエチレンの薄板が充填されたと同等の状況が作り出され、その結果、応力集中の程度が低下することが推認できる。これに対し、本願発明のように薄板を取り出した場合には、意図したとおりの充填物の充填されない切欠きが形成され、所定のノッチ効果を得ることができ、その結果、所期の目的を達成できることが明らかである。

(四)  被告は、ポリエチレンの薄板が残置されていても取り除いても、ひびわれ発生のメカニズムが異ならない旨主張し、具体的には、ポリエチレンの熱膨脹率がコンクリートのそれと比較して一桁大きいためにポリエチレン薄板はコンクリート以上に収縮し、ひびわれが発生する応力集中段階ではポリエチレン薄板とコンクリートは剥離しているものと考えられる旨主張する。

しかしながら、成立に争いのない甲第六号証(「マスコンクリートの温度応力発生メカニズムに関するコロキウム」論文集、社団法人日本コンクリート工学協会昭和五七年九月一〇日発行)によれば、コンクリート打設後の温度上昇は、専らコンクリートの水和熱によるものであることが認められ、したがって、コンクリート打設後ポリエチレン薄板の温度が上昇するとしても、その時の温度上昇はコンクリートの水和熱を受けてのものであって自ら発熱するものではないから、ポリエチレン薄板の最高温度はコンクリートの最高温度と同等以下に止まり、それ以上になることはないと解される。

被告の右主張は、コンクリートに発生する水和熱によって温度上昇段階でポリエチレン薄板がコンクリートと等しい温度に加熱され、そのため温度隆下段階ではポリエチレン薄板の内部の最高温度が外気温に落ち着くまでの温度降下量とコンクリートの最高温度が外気温に落ち着くまでの温度降下量とが等しいことを前提とするものであると解されるが、一般に、加熱される物質の特性によってはある温度まで加熱しようとしても直ぐにはその温度まで上昇せず、その温度に至るまでに長時間を要することがあることは経験則上よく知られていることであり、コンクリートの水和熱がポリエチレン薄板に伝わるにしても、ポリエチレン薄板内部の最高温度がコンクリート内部の最高温度と等しくならない間にコンクリートが温度降下段階に入ることもあり得ることである。また、コンクリートは、水和熱によってそれ自体が発熱するのであるから、その内部の温度は表面温度よりも高く、したがって、ポリエチレン薄板に伝わるべきコンクリートの目地表面の温度がコンクリート内部の温度よりも低いことが推測される。してみると、ポリエチレン薄板の内部の最高温度が外気温に落ち着くまでの温度降下量とコンクリートの最高温度が外気温に落ち着くまでの温度降下量は同等ではなく、前者が後者よりも小さい蓋然性が大きいと考えざるを得ず、ポリエチレンの熱膨脹率がコンクリートよりも大きいことを理由とする被告の右主張は、その前提において誤りがあるから採用できない。

因みに、成立に争いのない甲第一〇号証(工学博士小野定作成の平成三年五月二一日付「誘発目地材引抜き試験報告書」)によれば、同報告書は基礎の上に打設されたコンクリート壁が収縮する過程でコンクリート壁の目地内周面とポリエチレン製の目地棒外周面とが接触しているかどうかを明らかにするための実験結果報告書であるところ、同報告書によれば、ポリエチレン製目地棒を引き抜くには少なくとも二〇kg以上の加重を必要とすることが認められ、引抜きを困難にする大きな抵抗が生じていることが理解され、その抵抗はコンクリートによってポリエチレン薄板が圧縮されていることによって生じているとみられるから、同報告書も、目地内にポリエチレンの薄板を残置してある場合、ポリエチレンの薄板は目地の両側壁によって押されることを示していると認められる。なお、甲第一〇号証によれば、同報告書の実験は施工条件、例えばセメントの種類、セメントの量、打設温度等が不明ではあるが、同実験は、目地内に目地棒を残置した場合のひびわれ発生の有無、或いは目地棒が抜けるか否かを明らかにするためになされたものではなく、目地内に目地棒を残置した場合にコンクリートによってポリエチレン目地棒が圧縮されるか否かを明らかにするためになされたものであるから、施工条件が不明であるにもかかわらず、同報告書に示された実験結果を信用することができないということはできない。

(五)  以上によれば、本願発明と引用例記載の発明との相違点2に関する構成の相違に基づくひびわれ発生のメカニズムは異なるものといわざるを得ず、この点に関する審決の認定には誤りがある。

4  本願発明と引用例記載の発明との作用効果の異同

(一)  引用例記載の発明のように目地内にポリエチレンの薄板を残置してある場合には、前認定のとおりポリエチレンの薄板は目地の両側壁によって押されることになるから、切欠きとしての目地にはポリエチレンの薄板が充填されたと同等の状況が作り出され、その結果、応力集中の程度が低下することが推認できる点にについては、前認定のとおりである。したがって、引用例記載の発明のように目地内にポリエチレンの薄板を残置してある場合と、本願発明のように薄板を取り出し固形物を介在させずにスリットを形成した場合とでは、応力集中の程度の差に起因して、その作用効果に相違が生ずることが推認できる。

(二)  このことは、前掲の甲第五号証の三(工学博士小野定作成の平成二年七月一〇日付「シュミレーション解析報告書」)に示された事項からも認めることができる。すなわち、前掲甲第五号証の三によれば、同解析報告書は、本願発明と引用例記載の発明とを対象にして、すでに固まったコンクリート基礎の上に新たにコンクリート壁を打設する場合において、コンクリート壁に目地を形成し、その目地にはなにも介在させない場合、目地にポリエチレンの目地棒を介在させた場合、目地を形成しない場合又は目地にコンクリート製の目地棒を介在させた場合について、それぞれ応力がどのように目地に影響を与えるかを、有限要素法によるシュミレーション解析を行った結果報告書であるところ、この報告書の図-一四と図-一五に示された主応力分布図によれば、本願発明のように薄板を取り除いた場合と引用例記載の発明のようにポリエチレンの薄板を残置した場合とを比較すると、前者の場合には後者の場合の約六倍の引張応力がスリット先端付近に発生するものであることが認められる。

もっとも、シュミレーション解析は、実際の現象をできるだけ正確に表すように条件設定するとはいえ、そのときの条件設定の一部に実際の施工条件と完全に一致しない点があることは否定できず、したがって、シュミレーション解析によって得られた応力の数値と実際の施工時に発生する応力の数値は完全に一致するということはできない。しかしながら、前掲甲第六号証及び成立に争いのない甲第七号証(「マスコンクリートの設計・施工法」、清水建設株式会社土木技術部昭和五四年九月一日発行)によれば、コンクリートひびわれの解析手法として有限要素法を採用することは一般にも行われていることが認められ、また、成立に争いのない甲第一一号証(「RC構造の有限要素解析に関するコロキウム論文集」、社団法人日本コンクリート工学協会昭和五九年一二月一二日発行)によれば、シュミレーション解析によって解析された温度応力の解析値が実測値とよく一致することが示され、また、このシュミレーション解析に用いられたコンピュータ・プログラムは前記甲第五号証の三の解析報告書を得るために採用されたシュミレション解析用のコンピュータ・プログラムと同一であることが認められる。したがって、右シュミレーション解析から、実際の施工条件下においても薄板を残置した場合としない場合とで引張応力の値に約六倍の差が生ずると即断できないとしても、本願発明のように薄板を取り除いた場合と引用例記載の発明のようにポリエチレンの薄板を残置した場合とでは、発生する引張応力にかなりの相違が生ずることが推認できる。

そして、発生する引張応力に相違があると認められる以上、ひびわれが発生する確率も相違するものと認めざるを得ない。

(三)  以上によれば、本願発明と引用例記載の発明との作用効果にも差異があるものと認めざるを得ず、「本願発明のように薄板を取り出してスリットを形成したことによる効果も格別顕著なものとは認められない」との審決の認定は誤ったものといわざるを得ない。

5  以上のとおり、審決は、本願発明と引用例記載の発明との相違点2を判断するにあたり、右構成の差にもかかわらず、両者におけるひびわれ発生の状況を同一視して本願発明の作用効果の顕著性を否定した結果、本願発明における引用例記載の発明との相違点2の構成を当業者が必要に適宜なし得るとの誤った判断をしたものであるから、違法なものとして取消しを免れない。

四  よって、原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 田中信義 裁判官 杉本正樹)

別紙一

〈省略〉

別紙二

〈省略〉

別紙三

〈省略〉

〈省略〉

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